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2012年2月

自分の中の強い感情にもともと疎くて、

自分が死ぬことは嫌じゃない思ってしまうんだ。

仕方ないな。って思ってしまうんだもんな。

死にたくない!!って思わないんだもん。

それは死というものが私の生活から遠く離れているげんそうみたいなものだからだと思うんだけど、

もえちゃんのように、お母さんが泣くから死にたくない!!とか思えないんだよな。

そこまで感情がリアルじゃないんだよな、それは、それをリアルに感じられないだけの知らない世界で幸せに生きてるってことかもしれない。

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なんでそうなの?
こうなの?

を考えている、

いつから、人を引き離すようになったんだろうか。

去年のゼミが始まる頃だな。

その頃の私はやっと自分のやりたいことだけをできると思っていた、周りのイメージを生きたり、人の輪からはみ出たり、飛び出したりしなくて済むと思ってた。


それは、私が写真をやっていて、真面目だね。って言われることがすごく嫌だったからだ。

真面目だね。って一線引かれるのも、距離をおかれるのも、すごく嫌だったから。


だから今年は人とか変わらずに自分のやりたいことだけをやろうと思ってた。


人のことで悩むのが嫌だったから。

写真のことだけで悩みたかったから、私の中に入って欲しくなかったんだ。

写真でいっぱいになりたかったんだ、満たされたかったんだ。


そしたらどんどん人に興味がなくなって、関わらなくていいなら、関わらない方が楽になってきて、どんどん自分と周りの距離を引き離して行った。

自分の好きなことだけをやってたら、どんどん周りに興味がなくなっていって、どんどん自分の世界に落ちて行った。

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自分に興味があるから、自分のことでなやむし、おしゃれするし、着飾る。


自分に興味がないから、自分のことで悩まないし、着飾らない。


自分のことに興味があるから、自分を肯定できないし、写真だってわかってるのに決められない。

そもそもの自分に興味がないから、良い悪い、好き嫌いが決められなくて、写真だけと決められず定まらない。


考え方が能動的でないと言われた。
もっと能動的になればもっとよくなるのに。って。


好きな人のことと同時に、嫌いな人のことも考えなきゃだめだって、

嫌いな人のことを考えることによって、なんで好きなのか?も、わかるからって。

心は安売りしなくていいって。

心は安売りするなって。

安売りするなら、誰にでも安売りしなさい。って、できないなら、簡単に安売りするなって。


安売りしなくていい、
鳩時計のあの小さな扉さえ、開けなくていい。

開けなくていいから、開けずに付き合えって。


当たり障りのない私を作って、関われって。

心を開かずに、でも、関係を持てって。


私はいけちが、好意を持って接してくれるから、それに答えなきゃ申し訳ないと思ってしまうんだ。


でも、それをしなくていい。って。


それも汲んだうえで、開かずに関わったらいいって。


難しいよー。

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こないだ、O氏にわたしの抱いている悩みみたいなものは、としを重ねて行くとドンドン薄くなっていくはずなんだけどね、

わたしの場合はまだ、ちょっと強すぎるよね。

といわれた。


そして、こないだまゆこりんと、ちおりんに会って、2人と話して…

あぁ私だけなんだな、ここから脱出できてないの。
と思った。


2人は違う次元にいて、もう、そんなことさえ過去すぎて思い出せないくらいキラキラしたところにいて、


私は恥ずかしくなった。


自分のことで悩むなんて本当に中二病かもしれない。

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人間って、

泣いたり。わらったり、怒ったりして傷付いたりしてたいへんだ。

忙しいね。


でも、傷ついたりなにしたり、するたびに、あぁ心があったんだ。と感じる。


わたしにもコントロールできない箇所で感情が動かされる。

そもそも人間なんて、コントロールできないんだよ。

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心は安売りするな


安売りするなら。誰にでも安売りしなさい。


それができないなら、とことん安売りするな!!

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すずきさんにお前くらいのやつはいくらでもいる。といわれて、

Mで見た女子三人展の写真と私の写真は一緒だと言ったら、すごいわかったの。と話した。

三人の写真と、私の写真は同じでわたしもその中にはいると思ったと話したら。


お前本当ばかだなー!!!


だから、お前もったいないんだよ!!!!


と昨日いわれて、

ちげーよ!

全然ちげーよ!

お前の写真はちゃんと世界が写ってるんだよ!!!!

だからかっけー!と思うし、鈴木さんだって、だから社会性とかいうんだよ。


お前ほんとわかってないなー。もったいねー。

といわれた。

本当にわかってないらしい。


あとなんだっけ?

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たくさんのことをかんがえてもわからないから、


今ひとつだけ、目の前の問題だけ考える。

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いけちのこといわれた。ぶっちゃけ話した。


嫌いなら嫌いで、もっと拒むことをしていいんだって。

もう、鳩時計の扉も開かなくていいんだって。

つくられた私でうけとめていいんだって。


キライは嫌いでいい。

つくられた、私を作り出せばいいんだって。

なんていうか、問題ってやっぱりつながってるのね。

私の問題が、写真にも反映されて、


写真で問題になる部分は、結局私自身の問題に繋がっている。

すべてはつながっているんだ。


自己肯定をしなきゃいけないね。

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繰り返し言われることはいつも一緒で、

私の抱えている問題はいつも一つだ。

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自分にしか興味がない


他人には興味がない


という話なんだろうな。

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一つ言えるのは、ひろしも言い切れないということ、

言い切るだけの自信も、力も持っていないっていうこと、

答えは自分で見つけるしかない。

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わたしの問題は一つ。

自分を肯定できない


肯定できれば変わると思うんだ。

自分を肯定するための自分を理解するための写真が、

写真を必要としないでも、それができるようになって、写真が私の中で独立した存在になってきていて、


写真で自分を肯定しようとしなくなった。


そしたらわたし的には世界がうつるんではないのか?!と思うんだけど、違うのか?

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世界に興味が持てないことがどういうことなのかを、痛いほど知らされた。そんな日でした。


ひろしにいわれたのは、

わたしがいつも自分ベースで他者のことを考えていること、他者に興味がないこと。


わたしは、わたし。で完結してること。

他者に興味ないじゃん。関わってないじゃん。って言われる。

そしてすごくわかった。

他の誰かのことを考えた時に、わたしベースで考えていて、
相手がどういう人で、どういう性格なのか?とかということ。

それに興味がないよね。って。

人と疎遠になってきている。わかっている。

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さよならわたし。

それを(みんなの言う世界に興味を持つこと…、音楽とかアニメとか、好きだけど詳しくない。)諦めることは覚悟を決めることにつながってるのかもしれない。


そしてそれは、飛び抜けることにつながるのかもしれないし、ただ落ちて行くことに繋がるのかもしれない。

プラスにでるかマイナスに出るかわからない。

ただ、ずっとそれを抱きながら(外の世界に興味のある人たちに憧れながら)、変われなかったなら、いい加減諦めろってことなのかもしれない。


はらくくれってことだな。

すずきさん風にいうとこの歳になっても変われないなら、もう無理だろう、変わることないだろう。っていう話。

その変われない自分を認識することが、認めることが、

わたしの思う周りの人との共通した、外の世界と疎遠していくことかもしれないし、自分に落ちてそれが結果的に飛び抜ける事に繋がるのかもしれない。


それは痛いかもしれない。泣くかもしれない。

何かをひっぺがすと言う感覚に似ている。

こころの中の内側をひっぺがす感覚(それ自体がよくわからないが)に似ていて、少し怖くて痛い。


共通の言語が言葉が話せなくなりそう。

それは、地元の友達に抱くような感覚の、周りの人に合わせられない、合わない感覚に似てるのかもしれない。


話しても言葉が相手を通過してしまって怖い感じ。

自分の言葉が通じない。相手の言ってる事が興味が持てない。


話している内容がはっきりいってつまらない。

そう思う人が増えるんだろうな。

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方向性を決めることをしても、それは終わりじゃなくて始まりなんだと言われた。


作品を作ってる間は、自分に何かができるかもしれないという夢をみられる。

でも、それが終わってしまったら、
できてしまったら、私は何にすがって生きたらいいんだろうか。

何に可能性を感じて生きていけばいいんだろうか。


これから先も、自分を生きていかなきゃならないのに、自分にはこれしかできない。と現実を突きつけられたときに、
それを思い知らされた時に、その後に何に期待して、夢見て生きたらいいんだろうか。

「自分にはこれしかできない。」を、「"今"の自分にはこれしかできない。」に認識し直せばいい。


今できる事がたかがそれだけ。ってことで、今後一生それしかできないわけじゃない。私の意志でいくらでも、何でも変えられる。

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考えてみれば、

自我が生まれ、他者と私という存在を認識するようになってから、私は私を肯定できなかったように思う。

少しずれた自分を肯定できなかったように思う。


いつも誰かに憧れ、誰かを羨み、私もそっちにいきたいとおもいつつ、いけないでいる自分を肯定できなかったように思う。


みんなで一緒の環境にくそくらえ!つまんねーよ!


とおもいながらも、そこの人たちに認めてもらいたくて、評価がほしくて、

個性的だと言われてる自分も仲間にいれてもらいたかったのかもしれない。


わたしも普通だっていわれたかったのかもしれない。

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こんなときだけ被害者ぶるなよ。って話なんだけど、

義務教育の中で集団生活を強いられてきて、はみ出すことが悪いことだと教えられてきた気がする。

それもあってなのか、何なのか、はみ出したり、羽目を外したり、道をそれたりすることがとても怖い。

といっても、面白いものは羽目をはずして、道をそれた方が面白いということも知っている。


というか、すでに道はそれてるから今更という気もするし、

じゃーみんなのいう羽目のはずしてない人生ってなんだよっていう話で、
正社員だとか月給だとか年金とか固定給とかそう言った話で、

わたしはそんなものが保証されていない環境の方が面白いし、私のやりたいことは保証されている現実ではないということ。

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わたしの中での、

私の写真行為というものが、私のためでもなく、何かのためでもなく

ただ写真行為として独立することができたら、

何かが変わるんだと思うんだ。


そうしたら、もっと自分から離して自分の写真のことを考えられるのかもしれない。

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外に意識を向けないと向けられないのも知っている。


だから向けられる余裕がないという、今の状況はとてもこわい。


おいて行かれそうで怖い

どんどん置いて行かれそうでこわい。

自分の世界に取り残されそうで、こわいんだ

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