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2012年1月

自分が影響を受けた人に似ていくのは確実。


自分が誰に憧れ、影響を受け、自分がどういうふうになりたいかが重要。

と……

ここで示されない不特定多数の“誰か”自体をわたしは理解できていない。

それはその"誰か"がどの人なのか?ということじゃなくて、


ここで示している

"誰か"と呼ばれている人たちの、それぞれの違いを渡しは理解していない。

だから、特定の誰かに憧れることもなければ、影響も受けていない。


中平卓馬なのか?森山大道なのか?高梨豊なのか?ダイアン・アーバスなのか?とか…


ほんとそのレベル

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Twitterにかいたけど、

わたしは写真に向かって広がっている生だと思うのね。

写真があって、私があるみたいな。

方法のための写真なのではなく、写真があっての私だと。


存在と比重が変化してきていると。

おもったけど、わざわざTwitterにかくことじゃないとおもって、こっちに書いた。

私の生は写真のためにある。

と言い切れるくらい。

私の中の呪縛が、写真への呪縛に変化してしまえばいいんだ。

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言葉と写真と思想

答えはわたしに向かってあるのではなくて、

外に向かって存在している。


それに気づいただけ、気づけただけ成長したんじゃないのか?

変わったんじゃないのか?

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私は写真にしか興味がもてない。

"しか"と言い切るのは、とても偏っていて、適切ではないと思うけれども……


近いものはあって、写真に関する事しか頑張れないというのはある。


だから、もう諦めて、写真から世界を知ろうとするしか方法はないんじゃないのか?と思うようになってきた。


むしろ、逆に写真を深めることで、世界も広げようとする。っていう。

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今やってること

立ち止まるのが怖くて、ずっと写真を撮り続けてきた。

ずっとシャッターを押し続けてきた。

振り返ることも、立ち止まるのと同じ気がして、振り返ったり、繰り返したりせずにただ前だけ見つめて、ただ新しい情報、知識、能力、可能性だけを求めて、本を読んだり、写真を撮り続けたりしたきた。


読んだ本には気になるところに付箋をはり、気になったところをピックアップしつづけた。

ピックアップするだけで、調べたりせずに放置していて…

本に貼られる付箋だけは増えてく一方だった。


だから、今までやってこなかったことをやろうと思った。

行動的には前に進んでないかもしれない、目に見える何かは残らない、でもこれは無駄ではないとおもうし、やらなきゃいけないと思うし。

良い加減やれよ。とおもったのもある。笑


振り返ってみたらいろんな事が見えてきた、文章の意味や、言葉の持つ力、
一つの本の中で、中平卓馬が繰り返し言ってることと、私がくりかえしチェックを入れてるところ、


自分が何に反応していて、何が気になっていて、どんな事が世界で起こってるのか?

また中平卓馬は
どんなことを考えていたのか?
何をみていたのか?
を、同じ文章(付箋のついてる部分の、本の文章をワードで打ち直してる)を打つことによって、擬似体験している気分になる。

読んだだけでは理解できなかった深い部分に気がついたり、自分が気になっていたものが何なのかを、一覧で見返せるのはすごく良い。

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頭の良い人たちはもうそれにきづいていて、"写真"に戻ろうとしている


ただその"写真"はつまらないのだ。

"写真"の最高傑作が植物図鑑だと思う。といわれたのもわかる。


わかるし、そうなんだと思う。


ただ、でも、それってつまらないんだよね。


私がW写真Wではなく"写真表現"をしてるのも重々理解した。


だから、ヒロシが撮る写真も"あの写真"なんだとわかったし、

"写真"にもどっていくほど、写真は意味を持たずつまらなくなっていく。


でも、そもそもの"写真"という物自体が、そこまでのたくさんの意味を含まず、今のように巨大化する前のものだったことも理解した。

写真は絵画に憧れ、芸術に憧れ、その価値を、存在を確立しようと努力してきた。それゆえに、写真は記録という要素から出発し、表現の要素も含み、その、表現という要素が巨大化していったんだと思う。


そして、頭の良い人たちは今"写真"に戻ろうとしている。

写真のことを考えるあまり、世に溢れている写真は"写真"ではないということに気づいたんだと思う。

だから、中平卓馬は考え、植物図鑑にたどり着いた。

杉本博は、90世紀で写真は終わったといい、写真を終わらせるための"写真"をやっているんだ。

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映画TOKYO2

映画の中で、

あおいゆうが映画の中で「そうやって、ずっと人の目をみないつもり?」っていうんだよね。


わたしも一緒だわー。

こわいから俯いてるの。


戦うのがこわいから、腹がくくれないの。

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映画TOKYO

わたしは外にでながら引きこもり。

映画TOKYOをみてそう思った。

そもそものベースがマイナスで表現してるのに、否定されるのがこわいから、人に見せるのが怖い。

否定されない世界にずっといるだけ。


まとめるのが怖いのは(それを仮に内といえば)、
まとめたら、外にでなきゃならなくなるから。

戦わなきゃならなくなるから。


理由がそれだけじゃないとしても、それも一理あると思うんだ。

臆病なだけ。
自分のことを大事にしてもらいたいだけ。

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コンプレックス

自分のコンプレックスなんて、他の人からすればそんなに気にしなくて良いのに。っていうこと。

そんなもんなんですな。

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恋愛コンプレックス2

人間ってやっぱり矛盾の上で生きていて、その子はすごく勝気な子だから、わたしはそんな一面があるなんて思いもしなかったし、

自分に厳しいから、他人にも厳しいんだろうな。って思うし。

わたしの言いたいことは、
矛盾だらけなんだよなぁ。笑

ていうかコンプレックスって他者からすればどうでもいいっていうか、気にならないんだよね。笑

中学の時に、鼻が低いことをすごい気にしてた子がいて、でもわたしは全然気にならなかった。

というかむしろ、なんで?!可愛いのに!!と思っていたから。

そんな時わたしは、わたしが自分の顔を気にしたって他者は気にしてないから、気にする必要がないや◎ってこと。

コンプレックスってそんなもんなんだよねー。

自分にコンプレックスを抱くのは、一番自分が可愛いからなんだろうな。

自分が好きだからなんだろうな。

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恋愛コンプレックス

昨日面白い話を聞いて、

その子(同棲してる彼氏がいる)が、それを恋愛コンプレックスと呼んでいたんだけど


それが何かっていうと、

悪い男に過去に捕まったことがあって、

それから恋愛における自分の価値は低いんだって。

>恋愛で自分が大事にされないのが当たり前っていうか、大事にされないのが普通っていうか…っていってた。


>だから、家事においても完璧にできないときがすまないっていうか、自分が完璧にできないからだ…っておもっちゃう…

って、

完璧にやろうとするから疲れるんだし、完璧にやろうと思わなきゃ良いんだろうけど、

でも、それじゃだめなんです。


って言ってた。


愛されないのは自分かちゃんとできないから、自分がちゃんとできなきゃ愛される土俵にたってないってことなんだろうな

そのこの将来とか、未来とか、考えてしまって母親になった時に大変そうだなぁ。
と思ってしまった。

でも、その子にいえる恋愛コンプレックスっていう部分が、わたしの場合は私自身に対してで、

私は、常日頃自分に対してそう思ってる。


だから、その子は辛いんだと思う。

愛されない自分には納得してる。愛される自分に不安になるのかな?

ちゃんとできない自分を肯定できないんだ。

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劣等感は拭えないって。

劣等感から開放されたいといったら、それは無理だよ、
と言われた

この人に話すのは怖くないのに、あの人に話すのはすごくこわい。

人間ってすごい面白い。

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自分に劣等感を抱いて生きてるんだ


それで良いんだよ
って言ってもらいたくて認めてもらいたくて生きてるんだな

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