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2011年12月

何にも気がつかずに、明るくひょうひょうと過ごしてきたらよかったのか。

いつも引っかかる事はただ一つ

自分自身の事

自分に価値を見つけられない事。


ダークサイドの感情が理解できない事。


軽いメンヘラ患者だと思う。

私の写真で、私を深めても、私は幸せにならない。


なぜなら、私は明るくないからだ。


私は怖いんだ。

私が一番世界に期待してるんだと思う。


期待してないと生きていけないから。


自分に可能性を感じていないと生きていけないから。

夢から覚めるのが怖いんだ。

自分の可能性ってのを感じられる環境にいる、この今の生活から離れて、


なんでもない私が、なんにもならないかもしれないのに写真を続けることなんて恐ろしくてできないと思うの。

でも、一番怖いのは、

自分が何もできないと本当に気づいたとき。


人間は二度死ぬというけど(死んだときと、忘れられたとき)、わたしはそこで一度死ぬ。


わたしはどうなってしまうんだろうか。

自分に可能性が感じられなくなったら、私はどうなってしまうんだろうか?

怖くて想像ができない。


メンヘラ、ナルシズム、コンプレックス、マスターベーション、


私はその塊。

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何にも気がつかずに、明るくひょうひょうと過ごしてきたらよかったのか。

いつも引っかかる事はただ一つ

自分自身の事

自分に価値を見つけられない事。


ダークサイドの感情が理解できない事。


軽いメンヘラ患者だと思う。

私の写真で、私を深めても、私は幸せにならない。


なぜなら、私は明るくないからだ。


私は怖いんだ。

私が一番世界に期待してるんだと思う。


期待してないと生きていけないから。


自分に可能性を感じていないと生きていけないから。

夢から覚めるのが怖いんだ。

自分の可能性ってのを感じられる環境にいる、この今の生活から離れて、


なんでもない私が、なんにもならないかもしれないのに写真を続けることなんて恐ろしくてできないと思うの。

でも

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名前を出して写真を出せば
それは私の作品になる。


私が理解する前にそれを(写真を)Webにあげた時に、

それを、見ている他者が私よりも先に理解してしまうことが怖いから

私はWebに写真をあげないんだ。

私の作為でまとめられた…(誰に何をいわれても仕方ないと腹を括った)写真ではなく、ただ無造作にに並ぶ写真が私の思考の範囲を越えて、一人歩きして行ってしまうのが怖いんだ。


私の知らないところで、理解してない段階で、誰かに先に誤解されて、理解されることが怖い。

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私がもし、自分の写真に可能性を感じられなかったら、

私は私に価値を見だせなくなるんだ。


その時私は自分を、心の中で一度殺す事になる。


私が生きていくためにも、写真を続けなきゃならないんだ。

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まとめられないのは、こわいだけ。

わたしが自分の写真をまとめられないのは、

自分に可能性を感じてないと生きていけないから、

まとめる事によって「今の自分」をうけとめなくてはならなくなって、


その「今の自分」っていうやつを、自分のレベルをマヌあたりにしなくてはならない事が、とても自分にとって酷なことなだけで、


そこにいる「今の自分」ってやつを受け止めるのが怖くて、だから逃げてるだけなんだ。

逃げてたって何もからなくて、受け止めないと進めないのに。
写真も向上しなければ
今よりも、もっとよくなるわけがないのに。

それも理解してるうえで、でもやっぱり怖いんだ。

情けないというかしょうもないというか
かっこわるいな。


自分から逃げてたら変われないのにね。

それでもやっぱり酷すぎるんだ。

自分に可能性を感じられなければ、私は死んだも同然なんだ。

だから、誰よりも写真が上手くなきゃならないし、皆よりも写真を撮ってなきゃいけない。

もちろん行動も、進むことも必要だけど、

進むだけじゃなくて、たまには立ち止まって振り替えなきゃいけない。

私は振り返る時間が持ったいなくて、そこで立ち止まって停滞している時間が怖くて、

力づくでも進んでいたくて

でも、その時期は終わったらしい。

今は自分と向き合う時間みたい。

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残酷な事をいうけど、


私が平凡にノーテンキに生きてきていたら、写真は面白くなかったよ
といわれた


そうゆう過去があって、そうゆう物を背負ってきたから面白いんだって


Sさんが、世界の際を撮ってると言って

生と死のギリギリのラインの世界の際を撮ってると言って

でもそこに写ってるのは
生と死のギリギリのラインでも、なんでもなくて、

世界の際なんかでなくて、現実で事実で


被写体がドアノブなら、ドアノブでしかなくて
それが世界の際なんかでなくて…

なんでもないんだっていうはなし。

でも、あの写真はSさんにしか撮れなくて

彼女は、生きることとか、死ぬこととかをすごく考えてきたんだと思うし

だから写真が面白いんだと思うし…


そして

私は彼女の写真をすごく理解できた

そうゆうことよ。

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私の中の“私”が写真に変わって


他者を通して写真が肯定されないと


私を肯定してもらえないことになるんだ…


と言われた


うん。


そうかも。

他者を通して肯定されないと、自分でも肯定できない。

自分の写真行為が、
自分自身だけで肯定できない。

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自分の恋の話し、誰にもしてこなかったから、

だれかにしてしまいそうで怖い


わたしと君だけの話なのに、誰かの手が介入しそうでこわい

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頭の中が真っ白になった


それが正直な感想です。

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ただ撮るだけでは何も写らないから

社会性、テーマ性が重要だった最初に比べて

社会性、テーマ性がなくても写るようになってきて、

だから、私は社会性や具体性を主にしていてたのを、今は避けている


興味があるのは自分だけで
だから自分が写る写真がすきなのだろう

痛いことをいってるし、恥ずかしいことを言ってるけど、
わたしが気がつないふりをしても、周りの人にはばれているから

meが自分大好きなのはモロバレだから…

というだけで、逃げるも、認めないのも、なにをするのも自分次第。


て、だけ。

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女は感情的なのよ

感情的にはなれない→一杯一杯にならないと話せない→話せる時には爆発する時

下手くそ

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