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2011年9月

あたまの中はマーブル

脳内カオスでさ

ただ、学校の犬にはなりたくないな。とだけおもってるよ。

それだけはおもってるよ。

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そろそろ写真を撮らなきゃ呼吸困難になりそうだ。

溜まる、詰まる、ものが多すぎてシャッターを押す事によって消化するというか、

発散していかないともたないよ。

シャッターを押す事によって0にしてるんだ。

確実に、シャッターを押す事によってストレス発散してる。

それはよくわかった。

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なんか違う気がする

写真のためにお金をかせがなきゃいけないんだけど、

写真を撮る時間もなければ、休む時間もない

なんか違う気がする。


なんのためのバイトか

なんのための時間か

よくわからない。

よくわからないよ。

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がつこう

なにがそんなに嫌なのかわからないけど、すごい嫌だった。

なんでだろう。

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作品について

もちろん写真をやってる人間なので、写真的に良い!

という事は大前提だし、そこから逃げたらいけない

けれど、写真をやってない人が大半の中で、

写真的に良い!というのを通り越した…
感覚的に良い!という部分は残さなければいけない


いけないというか、感覚的に良い!と言われる部分が重要。

ただ、そこを重要視するあまりに、写真的な部分が抜け落ちてもいけない。

それでは、ただの中身のない作品になる。

(くどくなるが)

かといって、写真的な部分だけを重要視して…

自分よがりな…自分だけが理解していて、他者には伝わらないような作品もダメだし、

自分と他者の視野には距離があって、本質が自分にしか見えてない作品でもいけない。

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思考と行動がともなってないから

あたまでっかちになっちゃうんだな。


考える事は必要だけど、それじゃもったいない。

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考える事によって、社会とつながっているつもりかもしれないけれど、

考え過ぎる事によって、結局自分としか対談できていない人がいる。

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中平卓馬を読んで

考える事は必要だ。

ただ考えすぎる事はどうなんだろうか?

作品を作る上で、感覚的な事を見せたいのなら、

いかにどうすれば他者に伝わるかを考えなければいけない


もちろん、それは必要だ。


ただ、感覚的な事を感覚的にとらえている、その…ロジカルにならない部分もすごく重要なんじゃないか?と思う

自分のやっていることを言葉にできる

説明できる

のはもちろん重要

ただ、ただ頭で理解するのではなく、

心で感じる部分も失われたらいけないんじゃないか?と思う


頭で理解できる

それを超えた作品を作らなければならない


ただ、たんに頭で理解できない作品を作るのではない。

頭で理解する事はできない…できない
けれど、ちゃんと社会とつながっている、私たちと繋がっている作品を作らなくてはならない。

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わだかまり

思いつめるほど重要じゃなくて

どちらでもいいからなんつーか

考えて嫌になるけど、

重要視してない。

誰にでもそうだしね

皆が、きにしないのは年齢が離れてるからかもしれない

相手にしてないのかもしれない

ただ私は一つしか違わないからな。笑

まぁ、気にしても仕方ないか。笑


って感じ。笑

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(さらにつづき)

あの写真は写真論じゃなくて
精神論

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(続き)

それは自分のための写真だったということだろうな。

写真を通してつまらない人間だと思われても良い。

というのも含めて…

全部私だということ。

良くも悪くも私だということ。

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亀山の写真は

私が私の好きな世界に落っこちていった写真なんだ。

誰とも口を利かず、
私が私の好きな世界に落ちて行っただけ。
マイナス思考だとか、そうゆう客観をもするりするりと抜けて

しゃしは的に良いとか悪いとか、そうゆうのも抜きにして、

ただ自分を表現しただけなんじゃないだろうか?

どうにか頑張って誰かに認められるレベルに行きつこうとか、
社会に出して恥ずかしくないレベルにしようとか、

そうゆう意識がなくて、

ただ好きなだけ自分の世界に埋まっただけ

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歯がいたいはいたいはかいたいはがいたいはがいたい

。・゜・(ノД`)・゜・。

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5

子供のころは心が繋がってないと仲良くなれなかったのに

大人になると適当でもなんとなく仲良くなれる


それが都合が良い時もあれば、
そうじゃない時もあって、
大人になるってそういうことなんだろうなって思ってる

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5

実生活の社会のように
頭のなかで流れている事はすごく早いんだ

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4

これをしていないと生きていけない


それが写真だ
よくわかった。


よくわかったよ。

最低週一。写真のための時間をつくろう
それでも足りないくらいだ
もっとやりたい、もっとしたい


あぁイライラする
写真撮れなくてイライラする
シャッター押せなくてイライラする


ひゃー

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3

みんなが見る場に書くことによって

自分を、客観的にみようとしてるのかも。

主観を排除しようとしてるのかも…

わからないけどw


日常生活では考えなくていいことは考えなくていいのかもしれないけれど、

わかっていてもそれをしてしまう。

でも表現に関して言えば、
その日常生活に支障をきたさないような考えなくていい事を、考えるのがすごく大事になってきたりする。


だから、わたしは写真を始めた時に救われた気分になったんだ。

“考えすぎだよ”と、言われてきた部分を考えないといけなくて

考え過ぎだよと言われてきた部分を肯定してもらえたようですごく嬉しかったんだ。

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2

頭を使わずに生きる事ができないんだ。


良くも悪くも考えずに生きる事ができない
だから、それらの雑念を消費したり、そこからの発見を掬い取ったりするために、私はTwitterやら、mixiやら、なんやらに書き散らかしていて、

雑念のゴミ箱をひっくり返していて、

こうゆうことを、自分しか観ないノートに書き散らかしたらいいのにと思うのに、なんでかそれができない。

私という人間が考えていますと社会に提示していないとそれができない。
おかしいよね。変な話。

観られているという緊張感?
私の発言という責任感?

が課せられていないと履きだせないのか?

謎だなー

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1

シャッターを押さないと、好い加減に気が狂いそうになる。

これじゃ呼吸困難だ

溜まったストレスや、感情や、考えや、いろんな事を言葉にしたり何かこう吐き出していかないと溜まる一方で、
それをしていたのがTwitterだったり、シャッターだったりするんだな。と思った。

Twitterは横尾さん風にいうと雑念のゴミ箱

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写真のために生きてるのに

写真を撮ったり、見たり、考えたりする時間がないってどうゆうこと?笑

何のために生きてるかわからないよ
これじゃ


写真をやるためにはバイトが必要かもしれないけど。バイトが主になったらいけない。

だってバイトするために生きてる訳じゃないから。

写真のために生きてるんだから。

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やばい気が休まるときがない

きがくるいそう

24時間の毎日が、

今日、明日、明後日ってくぎられていなくて

リセットされずに
ずっと続いてる感じ

やばい、気が休まってない( ; ; )

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今わかった
私が服を辞めたのは

私にできる限界を見てしまったからだ。

私は“無限な可能性”を信じていたいのだ、夢見てたいのだ

ワクワクしてたいのだ。

でも服ではそれが感じられなくなっていた。

感じられなかった、先が見えなかった。

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